一人息子は自宅で水中出産したんです。
今回はその時のことを思い出してみようと思います。
◎真ん中の写真が水の中で産まれたところ。私が両手で取り上げています。
大好きな映画「グラン・ブルー」の原作者、フリーダイビングで有名なジャック・マイヨールがある雑誌で語っていた中で「水中出産」を知りました。「水中で産まれた子供は水を怖がらないし、お産も楽。」とあり、いつか出産する時は「水中出産」って思っていたのです。
いざ妊娠した時に水中出産ができる病院を探しました。インターネットもまだない時代ですから大変でした。
見つけた西荻窪の産科に通っていたのですが、ウチからあまりにも遠いため、産気づいてから時間がかかってしまうことが心配でした。
(当時、私たち夫婦にはバイクしかありませんでしたし〜)
しかも病院の食事も気に入らない。。どうしよう。。。と悩んでいました。
その頃、佐藤恵美さんの「水中出産連絡会」にも参加して、VTRを見たりお話しを聞いたりしているうちに、ダンナも私も「自宅でも産めるかも・・・」と考え始めました。
もうすぐ臨月という時に、自宅専門の助産師の神谷整子さんとご縁ができて、とんとん拍子に神谷さんから組み立て式のプールを貸して頂けることになったのです。
自宅で出産するというのは、何かあったときのリスクが高いのです。
それ故、出産前は「絶対に大丈夫!」と毎日イメージングしていたし、何時間も歩き回って健康管理、アロマセラピーオイルで会陰マッサージや乳房マッサージもして、万全の準備でのぞみました。
親もまわりも大反対でしたけれど、自分の意志を貫いてしまいました。
やっぱり「信じる→行動する→実現する」なんですね。
1995年6月2日の夜から陣痛が始まって、ダンナにプールを組み立ててもらい、出たり入ったり。確かにお湯に入ると身体が楽でした。夜中に神谷さんが到着して、マラソンのトレーナーのように元気付けてくれました。
翌朝、5時53分、3700グラムもある息子が水の中でぱっちり目を開けて出てきました。
ダンナが臍の緒を切りました。私のお腹の上に乗せると自分でおっぱいを吸いました。
それから毎日同じ布団でずっと一緒でした。
この辺りのことは、友人の唐沢明希さんが編集した、共著の「ザ・自宅出産・水中出産」(新泉社)に書きましたので、是非読んでみてください。
こんな素晴らしいお産ができたのも、ダンナのおかげです。
彼は出産後、毎日食事を作ってくれました。
それから、助産婦の神谷さん、両親、応援・協力してくれた友人知人・・・。
そして、こんな素晴らしい体験をさせてくれた息子に・・。
ありがとう!!
すべての人のおかげさま。
妊娠期間の十月十日って旧暦で数えるんですよ。
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小川 千秋 【「つきよみサロン」主宰】
記事テーマ
都会でもできる月のサイクルに沿ったナチュラルで簡単な生活や子育て、ごきげんに生きるための食と身体と心について提案します。また旧暦の行事にまつわるお話や月に関する絵本や音楽や映画の紹介、ナチュラルな簡単なおやつのレシピなど。子供と一緒の日々がもっと楽しくなりますように!