2015年4月に「子ども子育て支援新制度」がスタートし、保育園は保育、幼稚園は教育、こども園は保育も教育も行うと行政の案内に書かれていますが、それは本当でしょうか?
文言を読むと、なんだか「こども園」を利用する方が、働く保護者にとってはいいように感じますね。保育だけでなく教育もしてくれるなら、こども園に子どもを入れようと思ってしまっても仕方がないと思います。しかし、そこにこそ、国や行政の思惑があるようです。
そもそも、制度が変わるということは良いことなのでしょうか? 年金を例にしましょう。昔は60歳で年金を受給できていました。しかし、制度が変わり、今では65歳にならないと受給できません。私たちの子どもが定年を迎えるころには、果たして何歳で受給できるのかわかりません。
つまり、制度が変わるというのは、国の方で現行制度では金銭的な面などで維持が難しいなどの意味合いがあります。国の制度設計としてはいい変更かもしれませんが、本質的な意味では国民にいいことはないといえます。介護保険がいい例です。
介護分野で専門職として働いているママ友に教えてもらったことです。「介護保険になり、メリットとしては民間企業の参入ができるようになり、サービス量が増え①利用者が自由にサービスを選ぶことができる②1割負担で利用できることがあげられる。しかし、実際に利用しようとすると、介護保険の仕組みが複雑でサービスも様々で決まりごとも多く、選ぶといってもよくわからない。また経済的負担が大きい。しかも、サービスを様々利用しても在宅で介護するには限界がある。しかし、入所の施設は少ない。結局、いいことはあまりないのが現実。」と現場から忌憚のない意見をいただきました。
ということは、今回の「子ども子育て支援新制度」も、色々耳ざわりのいい言葉で説明されていますが、本質的な意味で、子どもや保護者にいいことがあるのかという疑問の目を持つことも大事です。
冒頭の、「保育園は保育、幼稚園は教育、こども園は保育も教育も行う」と行政の案内文を読んで、そうなの? じゃあこども園に入れなきゃと不安になるのではなく、本当にそうなのか?という疑問を抱くことが大事です。そもそも、「こども園は保育も教育も行う」と謳い、保護者の不安を駆り立てることにねらいがあるように私自身は感じています。
私がそのように考える理由を述べる前に、まずは私たち保護者の教育の概念を見直しましょう。
では、質問です。
教育というとどんなシーンを思い描きますか? 小学校のように、幼稚園のように、子どもが椅子に座り、指導者がいて、鉛筆やノートを用いて学ぶ姿を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか?
何が言いたかったかというと、こういうことです。
私たちは得てして固定概念として教育というと、椅子に座って指導者がいて、設定された学びを行うことをイメージしがちであるということに気づいて欲しかったのです。
では、私の考えを述べます。
そもそも幼稚園出身者と保育園出身者で学習の差があるのでしょうか? このことについては皆さんどう思われますか?
3年間の幼稚園生活でひらがなや足し算まで教えてもらった幼稚園出身の子とのびのび自由に遊んだ保育園出身の子が小学校に入学し、就学前に教育を受けた有無に明らかな学力の差はあるのでしょうか?
確かに、すでに足し算やひらがなを学んでいるという【既知の差】はスタート時点ではあるでしょう。しかし、その差はその後も維持されるのでしょうか? もし、その差が卒業までに維持されていたり、大きくなっていたりしたら、国としても困るので、すでに国の方で何らかの措置をしているはずです。
考えてもみてください。昔から、学校の教員などの公務員、医療従事者の両親を持つ子は保育園出身者が多いです。彼らが、幼稚園出身者と比べて明らかに学力の差があるというデータや研究結果がでていたならば、国の方で何らかの就学前教育の措置をとっていたはずです。そのような措置をとらずにいたということは、そういう差はなかったということです。
それにも関わらず、急に新しい制度で「こども園は保育も教育もします」とあたかもこども園がすばらしい施設かのように謳うのには疑問を呈さずにはいられません。
そもそも保育園では教育はしないのでしょうか? 幼稚園では保育はしないのでしょうか?
結論から言うと、【保育と教育はきってもきれない関係】です。
例えば、保育園では一日を通して保育がなされます。しかし、その中身をみていくと、おやつを配る係りの子が、みかんを一つずつ友だちに配りながら数の概念を学んでいます。お散歩で捕まえた虫の名前を知りたくて、友だちや担任保育士と一緒に図鑑を見たり、その虫が何を食べるかを図鑑で調べ、食材がわかると給食室に行き、栄養士に交渉して、その食材をもらったりしています。これはまぎれもなく、【生活に基づく学び】です。そして、一方的に教えられる学びではなく、【自らの関心・意欲に基づく主体的な学び】です。
幼稚園だって然りです。ずっとひらがなや工作の教育活動だけしているわけではありません。子どもの気持ちを共有したり、子どもの活動を温かく見守ったりしているはずです。
つまり、【施設に関係なく、教育も保育もどちらも子どもに関わる中で行っているもの】なのです。
ただ施設によっては、指導者がリードする形での学びをよしとするか、子どもを主体とする学びをサポートすることをよしとするか等【アプローチの方法が異なる】ことはあるでしょう。
思い返すと、私たち自身の子どもの頃を振り返ったときに、夢中で折り紙をしたり、縄跳びをしたり、鉄棒をしたり、好きな絵本を暗記するくらい何度も何度も読んだりしましたよね?
そして、それを振り返ると、そこには【できたという喜び】があり、それゆえに【うんと学んだ】というつながりがあるといえます。
昨今、行政だけでなく、業者による早期教育のアピールにより、保護者が不安を覚え、我が子に「何かさせなきゃ」と思わせる社会の構造です。しかし、一歩立ち止まって考えてみてください。「何かさせなきゃ」学びにはならないんでしょうか? 何もしなくても、子どもは生活の中から、主体的に自発的に学びましたよね?
「あいうえおのあ!」なんてパパやママが口を酸っぱくしていわなくても、子どもは自然に言葉を学びましたよね。
臨床心理士として、一人の母として、現在年長の愛娘が、私に何を言われることなく、「パパにお手紙書くの」といい、主体的に書いている姿は、自分自身で主体的に学ぶ姿にほかなりません。親の私は、自分がリードして教えることはなく、「(この文字は)どう書くの?」と聞かれたら教える程度の関わりです。
鏡文字満載のお手紙ですが、その手紙からは娘の豊かな学びがひしひしと伝わってくるからこそ、主体的な学びのよさを感じる今日この頃です。
ひらきだ ゆき 【臨床心理士 精神保健福祉士】
記事テーマ
初めてのお産・子育てって不安ですよね?でも大丈夫。ママが主体的であれば、赤ちゃんも力を合わせママとお産を頑張ってくれます。初めての母子での共同作業のスタートが主体的であれば、その後の育児もとまどうことはあっても、そのママらしい力が発揮でき、赤ちゃんも自己発揮できます。そのお手伝いを、カウンセラーの視点から楽しく具体的にさせて頂きます!