ソチオリンピック、フィギュアスケート、日本代表の演技に涙なくては観られない、、メダルより素晴らしい演技に、「ありがとう~!!!!!」がいっぱいです。
羽生結弦選手の100点超えにも驚かせられましたし、なんといっても、浅田真央選手、何回観ても涙が自然と溢れてきます。。
さて、今回のコラムでは、浅田真央選手のショートプログラム・フリープログラムで使用された楽曲について少しだけ書きたいと思います。両方とも、とても大好きな曲です。
浅田真央選手のソチオリンピック ショートプログラム曲は、フレデリック・ショパン「ノクターン第2番」。
この「ノクターン第2番」は、ピアノの詩人と呼ばれるショパンの最も有名なノクターン作品の1つです。
1830年から1831年にかけての作品。
ノクターンは、全部で21作品。
「ノクターン」は、ショパンが20歳の時から晩年に至るまで、ほぼ均等に創作されたと言われている。
ほとんどが3部形式であり、左手の定型の伴奏の上に、右手は甘美で感傷的な旋律を歌っています。
ピアノ制作会社プレイエル社長カミーユ・プレイエルの妻、マリーに献呈されたとされる「ノクターン」の語源は、ラテン語の「Nox」から派生したと言われています。
「ノクターン」は、夜の黙想・瞑想という意味。
日本では「夜想曲」と呼ばれています。
アイルランドの作曲家ジョン・フィールドの影響を強く受けていると言われてはいますが、ピアノの詩人と呼ばれる一面がよく現れている作品で、ショパンを語るに外せない作品であることは間違いないでしょう。
ソチオリンピック フリー曲、「ラフマニノフ作曲「ピアノ協奏曲第2番」。
伊藤みどり選手が、1992年にアルベールビル冬季オリンピックで銀メダルを獲得したフリーの曲でもあります。
浅田真央選手は、初めはバレエをされていたけれど、フィギュアスケートは足首を鍛えるとのことからフィギュアをはじめ、伊藤みどり選手のようになりたいと夢を持っていたそうですね。
夢が現実となった浅田真央選手、いったい日々どれほど練習していたのでしょうか。。いつかインタビューで週7日八時間と言うのを聞いたことがありますが、本当にここまでストイックに頑張り続けている浅田真央選手の精神力に頭が下がります。。
では、フリープログラムで使用された楽曲について少しだけ書きたいと思います。
ロシアの作曲家、ラフマニノフによる1901年作曲のピアノ協奏曲。
ラフマニノフは、幼い頃から音楽の才能に優れていましたが、24歳の時、最初の交響曲1番を批評家から酷評を受けてノイローゼになりました。しかしながら、精神科医ニコライ・ダールによって見事に回復し、この協奏曲は、ダールに捧げたと言われています。初演から大成功の協奏曲です。
ラフマニノフの幼い頃からの才能、これは浅田真央選手とも重なる点がいろいろありそうですね。。
才能、これには隠れた並々ならぬ努力の塊が存在する、これはどんなに優れた人であったとしても表と裏がこのように存在すると私は思います。
音楽・ピアノを弾くと、その人の哲学や人生・持って生まれた物・センスが表れます。
フィギュアスケートの選手は、スポーツというよりは芸術家に属しているように私は感じます。
音楽とスケート上での踊りのマッチング、絵に描いたような瞬間・瞬間の美しさ! この世のものと思われない感動の連続! 本当に良いものを観させて頂きました。
きっと自分との戦いの連続だったと思います。
「ピアニスト」とよばれている方々の練習はどのくらいでしょうか?
これは人によって違うと思いますが、
1日八時間という方もいれば、1日五時間という人もいるし、いろいろあるはずです。しかしながら、やはりフィギュアスケーターのように、血のにじむような大変な練習量だと思います。ピアノの世界はとても楽しいです!!しかし、やはり楽しいだけでは、ストイックに頑張り続けていく美学がそこにあります。