子どもの病気 教えて!ドクター
デング熱は、デングウイルスに感染したヒトスジシマカやネッタイシマカに刺されることで感染します。ヒトスジシマカ(写真1)はヤブ蚊の仲間で、草むらや公園などの植え込み(灌木)に潜んで、ヒトが近づくと刺しに来る「待ち伏せ型」の蚊です。ネッタイシマカは日本には生息しません。
日本脳炎ウイルスとデングウイルスは同じ仲間のウイルスです。日本脳炎ウイルスも蚊によって媒介されます。しかし、媒介する蚊が違います。日本脳炎ウイルスを媒介する蚊はコガタアカイエカ(写真2)という蚊で、この蚊はイエカの仲間で田んぼや池の周りに生息し、夜に家のなかにも入ってきます。つまりヒトスジシマカとは違い、遠くまで飛んで移動します。
日本脳炎にはワクチンがありますが、デングウイルスに対するワクチンはまだ開発段階で実用化されていません。治療薬もありません。しかし、適切な治療で重症化を防げます。
日本脳炎ウイルスは豚の体内でウイルスがたくさん増えて、豚の血液を吸った蚊が感染蚊になり、時にヒトを刺して、刺されたヒトが日本脳炎になります。デングウイルスはヒトと蚊の間で循環していて、動物や鳥は関与しません。デングウイルスはヒトの体内でよく増えて感染者の血液を吸った蚊が感染蚊になります。つまり、ヒト以外の動物で増える必要がなくなったともいえます。
エボラとデングはどちらもカタカナ3文字で、たまに間違う人がいますが、エボラは最初の患者の出身の村を流れる川の名前です。デングという名前の語源は、スペイン語のdenguero(英語のdandy)に由来するという説が有力です。激しい背部痛や関節痛のためデング熱患者が、あたかも気取って歩くように見えるからです。
1942年8月にデング熱患者が長崎市で発生しました。その後、佐世保、大阪・神戸でも流行が確認されましたが、11月には流行は終息しました。しかし、翌年も夏季になると再び流行が始まりました。1944年も夏季に同様に流行が発生し、大阪・神戸では10万人規模の流行となりました。1945年になり太平洋戦争の終戦とともに南方戦線からのデング熱患者の帰国が減ったこと、空襲に備えた防火水槽の減少、日本脳炎を怖れた米軍による蚊対策により、デング熱流行は1946年以降発生しなくなりました。では、今の状況はどうでしょう。海外から帰ってくる人、海外から来日する人の数が減る要素はありません。したがって媒介蚊であるヒトスジシマカの数を減らすしか方法がありません
そうです。1943年長崎の患者さんの血液から、堀田進先生によってデングウイルス1型が分離されました。これが世界で最初に分離されたデングウイルスでした。
ヒトスジシマカは小さな「溜まり水」に卵を産みます。家の周りの小さな容器にたまった水を捨てましょう。公園や近所の植え込みや草むらに空き缶やペットボトルが捨ててあれば、拾って処分しましょう。
虫除け剤は、殺虫剤とは違います。皮膚や衣類に塗ることにより蚊が近づけなくなります。肌に塗るDEETを含有する虫除け剤がもっとも安全性が確認されています。日本では生後6ヵ月未満の使用は勧められていませんが、米国CDC(疾病予防管理センター)の最近の調査では、生後2ヵ月以上で使用できるとされています。ただし、皮膚に炎症や傷口があるところには塗らないでください。小さな子どもは指や手をなめるので手には塗らないようにしてください。日焼け止めを使うときは、日焼け止めを塗って30分以上たってから虫除け剤を塗ってください。衣服に噴霧するペルメトリンスプレーは日本では販売されていません。
ヒトスジシマカは午後から夕方にかけて、あるいは朝方に活動が活発です。そういった時間帯に、デングウイルス感染蚊がいる可能性のある公園や戸外に出ないようにしましょう。どうしても出かける必要がある場合は、ベビーカーに防蚊対策(レースのカーテンのような布で覆うなど)を施してください。
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