食中毒の発生状況がここ数年すっかり変わってしまいました。
以前は食中毒といえば、梅雨時から夏にかけての蒸し暑いシーズンに起こるものと誰もが思っていました。たしかに今でも、毎年夏になるとたくさんの人が下痢、嘔吐、腹痛といった症状に悩まされています。
ところがここ数年、冬の食中毒が急速に増えて、大きく注目を集めるようになっています。
図は、厚生労働省が発表した昨年(平成22年)の微生物が原因の食中毒の原因微生物別発生状況です。
最も多いのは冬の食中毒の主役であるノロウイルスで半分近い割合です。ノロウイルス以外はすべて夏の食中毒の原因菌です。カンピロバクターは、ノロウイルスとほぼ同じ割合です。さらに多い順番にサルモネラ、腸炎ビブリオ、ブドウ球菌、腸管出血性大腸菌、ウェルシュ菌となっています。
食中毒を起こす微生物には、大きく分けて細菌とウイルスがありますが、図のノロウイルスは文字通りウイルスに属し、その他はすべて細菌です。言い換えると、ウイルスは冬の食中毒の原因となり、細菌は夏の食中毒の原因となるということになります。
細菌とウイルスは全く異なる生き物で、いろいろな違いがあります。
最も大きい違いは、細菌は自分の力で増えることができますが、ウイルスは自分の力では増えることができず、生きた細胞に寄生しないと増えることができません。
この違いは、食中毒を考えるうえで非常に重要です。
細菌が自分の力で増えるためには、われわれと同じように、栄養を摂らないといけません。しかし細菌は栄養源を求めて動くことができません。また、細菌には私たちの口に相当する器官がありません。実は細菌は、栄養が溶けている水分(湿気)のあるところに潜んでいて、栄養を体全体から吸収して生きています。
暑い夏の日の夜、冷蔵庫にしまい忘れた食べ物が、翌朝になると“腐っていた”という経験をされたことがありませんか。
冬の寒い時期ですと、一晩くらい冷蔵庫にしまい忘れても“腐る”ことはありません。“腐る”ということは、すなわち“細菌が増える”ということです。細菌は30〜37度が最も増えやすい温度です。冷蔵庫にしまうのは、温度が低くなると細菌が増えることができなくなるからです。
魚の干物は、暑い夏、冷蔵庫にしまわなくても“腐る”ことはありません。干物は文字通り、水分を蒸発させていて水分が少ないか、ほとんど無い状態です。そのため、細菌が付着しても栄養が溶け込んだ水分(湿気)が無いため、夏の温度でも増えることができません。つまり“腐らない”のです。
そんなわけで、温度が高く、湿度が高い梅雨時から夏にかけては、細菌にとって増えるための温度も適温な上、湿度が高いので栄養を吸収するのにも好条件です。従って食材に付着するだけで、どんどんと増えることができるのです。
夏になるとカンピロバクター、サルモネラ、腸炎ビブリオ、ブドウ球菌、腸管出血性大腸菌、ウェルシュ菌などの細菌による食中毒が多発するのは、細菌が増える条件が整っているからです。
いっぽうノロウイルスは、先にも述べたように、生きた細胞に寄生しないと増えることができません。すなわち、食材に付着しても増えません。しかし食材に付着したウイルスがヒトに感染すると増えることができるようになります。
ノロウイルス食中毒の感染源は、大きく2つに分けることができます。1つは、皆さんが冬になると好んで食べる牡蠣がノロウイルスで汚染されていることがあります。もう1つは患者が排泄した下痢便や嘔吐した吐物です。
牡蠣がノロウイルスで汚染されていることがあるのは、次のような理由からです。
現在私どもの食卓に上る牡蠣は殆どが養殖ものです。陸地に近い湾の海水中に養殖用の筏がたくさん浮いている風景を写真などで見られたことがあると思います。牡蠣は海水中のプランクトンを栄養源として育ちます。筏に固定されている牡蠣は、プランクトンを摂取するために、海水を大量に吸い込み、海水中のプランクトンを中腸腺という器官で捕らえます。海水中にわずかな数しか含まれていないプランクトンを摂るためには、一個の牡蠣は一日に1トン近い海水を吸い込むことが必要です。
問題は、吸い込んだ海水中に、ノロウイルスなどの下痢の原因になる微生物が含まれていないかどうか、ということになります。
もし含まれていると、ノロウイルスがプランクトンと一緒に中腸腺に捕らえられます。そして、牡蠣を食べた私たちの腸管の中へ入り込み、増殖して下痢を起こすことになります。
患者の下痢便や嘔吐した吐物の中には、多数のノロウイルスが存在します。このノロウイルスが原因と思われる食中毒がたくさん起こっています。
学校給食のパンが原因のノロウイルス食中毒が報告されています。工場で製造されたパンが、給食時間に子ども達が食べるまでの間に、ノロウイルスがパンを汚染したことになります。おそらくパンを触ったヒトの手にノロウイルスが付いていたのでしょう。ご本人が牡蠣を食べたのが原因で下痢をしていたか、あるいは家族の誰かが下痢をしていて、その下痢便の中のノロウイルスが手に付いていたと考えられます。
数年前、東京の有名なホテルで、たくさんの宿泊者がノロウイルス食中毒に罹ったことがあります。宿泊していたヒトが廊下で嘔吐し、その吐物の消毒が不十分であったため、吐物の中のノロウイルスが空気中に浮遊し、それを吸ったヒトが感染したと考えられています。気道から入ったノロウイルスが、食道を経て腸に達したと推定されます。下痢をしているヒトは、食材に触れる前に、十分に手を洗わないといけません。また、患者の下痢便や吐物の消毒にも、十分気をつけることが必要です。食中毒予防の3原則は、病原微生物を食材に「付けない」、「増やさない」、「殺す」です。この3原則を守れば、食中毒は起こりません。
まず、手洗いの励行は、食材に病原微生物を付着させないための最も基本的な予防法です。
次にもし病原微生物が食材に付着しても、増やさない工夫が必要です。食材を冷蔵庫に入れるなどして低温に保存するのはそのためです。
最後に、もし食材に病原微生物が付着し増えたとしても、加熱をすることによって殺せば食中毒は起こりません。
しかし、私たちの食生活ないしは食文化には、こうした原則を適用できない場合が少なくありません。
例えば夏の季節、水揚げされる魚介類には腸炎ビブリオが付着しています。表面海水の温度が摂氏15度を超えると、表面海水中に腸炎ビブリオが多数生息しているからです。水道の水で良く洗うと、魚の表面に付着している腸炎ビブリオは死滅します。腸炎ビブリオは食塩濃度が約3%の海で生きている細菌のため、食塩を含まない水の中では生きていけないからです。しかし、真水で良く洗うことでほとんどの腸炎ビブリオを取り除くことができても完全にゼロになるわけではありません。
私たちの食生活から刺身や寿司とかを無くすことはできないとすると、食材に付着して増えた腸炎ビブリオを加熱して殺すわけにはいきません。言い換えると、夏に生魚を食べる時は、食中毒の危険を覚悟する必要があるということになります。
牡蠣を食べたことによるノロウイルス食中毒の場合も、予防の3原則を当てはめるのが難しいと思います。
上にも述べたように、ノロウイルスが牡蠣の体内の中腸腺という器官に付着しているとすると、生牡蠣は勿論危険ですし、牡蠣フライも相当熱を加えないと中腸腺に巣くったノロウイルスを殺すことができません。
生の肉類も危険です。
腸管出血性大腸菌Oー111 や Oー157の食中毒事件はまだ記憶に新しいところですが、カンピロバクターが生の鶏肉に付着して私たちの台所へ忍び込んで来るということは、意外と知られていません。腸管出血性大腸菌による食中毒では死者が出ますが、カンピロバクターによる食中毒は比較的症状が軽く、死者が出ることはまずありません。
しかし、侮ってはいけません。ある種のカンピロバクター・ジェジュニによる食中毒の後遺症として神経疾患が発症することが分かっています。関節が痛いなどの症状は、ひょっとするとカンピロバクター・ジェジュニ食中毒の後遺症かもしれません。
食中毒予防のための3原則は、繰り返しになりますが、「付けない」、「増やさない」、「殺す」です。
しかし免疫抵抗がまだ十分に発達していない乳幼児を育てておられる皆さんは、もう1つの原則、「(危険な食材は)食べない」を加えることが必要です。
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